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日常におけるどうでもよい事象をろくでもない雑念を交え発信する。 面白いことなら無限にできるはずさ。

人生関数

人生を抽象的に捉えれば、
t :時間

とする関数

人生 = f(t)

と見なせるだろう。

つまり、ある時間によってその人が一意に定まる事を意味する。
要は「運命」である。

例えば

木内=K(t)とおく。

t=1987年9月23日
K(1987年9月23日)=この関数が初めて観測される(誕生)

t=現在
K(現在)=家でblogを書いている。

t=明日の17時
K(明日の17時)=バイトをしている(だろうと思われる、未来は現状で認知不可の為)

つまり「ある人が、その時間にしていることは1つに定まる。」ということ

※わかると思うが念のため
「マンガ読みながら、ウンコしながら、歯磨きをしている」は1つの行動である。


そこに佐藤という関数S(t)が存在して

K(t1)=S(t1)

ならば時間tで二人は出会ったと考えよう。

つまりこの2つの関数が交わるところが、出会いである。
次回すなわち

K(t2)=S(t2)

なるt2が存在しないとき、一度きりの出会いである。


これらを考えた場合以下のことが言える。


定理1.諸行無常の定理
≠t(ただしt<t)  ならば K(t1)≠K(t2) であり逆も成立する

意味は「違う時間においては必ず別の行動をしている」

証明
時間は一方向である。ゆえに時間が違えば別の行動をする。
もし、同じ行動をしているという言語的解釈ができたとしても前の時間tより必ず何かの変化がある。
たとえばtよりt2のほうが体中の細胞が分裂しているはずだし、外では車が動いて別の場所に移動している。

t2-tがどんなに小さくても、地球はまわっているし、宇宙も広がっている。
無論そんなものの影響はほぼないがそれがゼロではない。

よってK(t1)≠K(t2)



定理2.一期一会の定理
K(t1)=S(t1)
のとき
K(t1)=S(t1)=K(t2)=S(t2)
なるt、t(ただしt≠t)は存在しない

意味は「今出会っている時間は、2度と巡っては来ない」

これは定理1より
 
K(t1)≠K(t2)
であるので明らかである

現実に目を向けよう

「一生あなたに添い遂げたい」というのは

t→∞  ⇒ K(t)=N(t)

を望んでいるに他ならない。(
tの定義域は寿命までだろとの反論は、抽象的に捉えるという前提故、ご容赦頂きたい)

将来家族が増えて、皺だらけの老人になって、同じ墓に入る事を望む。
二人は「収束」する。

二つの関数は幾つの新しい関数を生むか。


人間を関数で考えるなど馬鹿馬鹿しいと思うかも知れない。

しかし相手に疑問を投げ掛け、回答を得る行為も「相手」という関数を知るためのブラックボックステストに過ぎないのである。

例をあげると
回答(血液型は?) = O型

回答(好きな男性のタイプは?) = 優しい人

疑問を変数とし回答という結果を得る。それは関数と同じであろう。

すると何が言いたいのか。

未来を変えることが出来るかは不明だが、時間が確かにもったいないと思うのである。
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