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日常におけるどうでもよい事象をろくでもない雑念を交え発信する。 面白いことなら無限にできるはずさ。

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エネルギー・サイクル

私は急いで向かった。

水辺へ到着すると、安心して座り込んだ。

ゆっくりと息を吸いこみ、その時を待つのだ。

まもなくその時はやってくる。

天から大地へ、エネルギーの還元のとき

山を切り拓き現れる

そして私は脱力感に身を委ねる。

ふと立ちあがってみると

座礁したクジラが海へ還るように、ゆっくりと水に浸かってゆく。

ただそれだけのことに感動できるのならば、私はたいした幸せものかも知れない。


今日も良いうんこだ。
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良心潔癖症

病名:良心潔癖症

目の前で他人のポイ捨てを目撃したのに、隣の彼女や周囲の目線を気にして拾おうとしない。

ドミノ倒しの自転車を横目に、気づかなかったふりをして通過する。

これらの行動の後に強い自責の念にかられる場合は「良心潔癖症」の疑いがあります。

原因:
主な原因は勇気の無さです。できるはずの正義をやらないことで、自分の存在価値を疑い、結果として苦悩に満ちあふれるちっぽけなものです。

治療:
まず「気にしないこと」です。「まあ、自分には関係ない」といった軽い気持ちでいましょう。
何事も見て見ぬフリをするのです。なれてくると自然と気にならなくなるはずです。

そして傍若無人になりましょう。ここまでくれば完治です。

一人一人が力を合わせてこれを行えばきっと、
社会は汚職にまみれ、政治は腐敗し、国の誇りは消え失せるでしょう。





自分の心の小ささを痛感する一年でした。反省が唯一の成長材料と信じたい。

よいお年を。

うつ日記デビュー

最近のSNSでは「うつ日記」や「うつポエム」というものが流行っているそうである。

しかもそれを書けば

「がんばって、元気出して、~君なら絶対出来るよ!」
「すごく気持ちわかる!」 「そういう大変な時期もあると思うけど~」


のような同情、声援の類のメッセージが女の子から頂けるのだから真似する他にない。




「うつ日記」

思い起こせば映りし姿
脈打つ身体を寄せ合えば
うつむき歩く明けからす
情も移りてミイラ取り
撃ち砕く男の勘違い
心の都はいずこへ遷る
現か夢幻か



ライムスターの肉体関係Part2懐かしいな、たぶん同級生の青春ソング。
数学や哲学もいいが、たまにゃ皮肉もいいだろう。そんなもの心うつか。

人生関数

人生を抽象的に捉えれば、
t :時間

とする関数

人生 = f(t)

と見なせるだろう。

つまり、ある時間によってその人が一意に定まる事を意味する。
要は「運命」である。

例えば

木内=K(t)とおく。

t=1987年9月23日
K(1987年9月23日)=この関数が初めて観測される(誕生)

t=現在
K(現在)=家でblogを書いている。

t=明日の17時
K(明日の17時)=バイトをしている(だろうと思われる、未来は現状で認知不可の為)

つまり「ある人が、その時間にしていることは1つに定まる。」ということ

※わかると思うが念のため
「マンガ読みながら、ウンコしながら、歯磨きをしている」は1つの行動である。


そこに佐藤という関数S(t)が存在して

K(t1)=S(t1)

ならば時間tで二人は出会ったと考えよう。

つまりこの2つの関数が交わるところが、出会いである。
次回すなわち

K(t2)=S(t2)

なるt2が存在しないとき、一度きりの出会いである。


これらを考えた場合以下のことが言える。


定理1.諸行無常の定理
≠t(ただしt<t)  ならば K(t1)≠K(t2) であり逆も成立する

意味は「違う時間においては必ず別の行動をしている」

証明
時間は一方向である。ゆえに時間が違えば別の行動をする。
もし、同じ行動をしているという言語的解釈ができたとしても前の時間tより必ず何かの変化がある。
たとえばtよりt2のほうが体中の細胞が分裂しているはずだし、外では車が動いて別の場所に移動している。

t2-tがどんなに小さくても、地球はまわっているし、宇宙も広がっている。
無論そんなものの影響はほぼないがそれがゼロではない。

よってK(t1)≠K(t2)



定理2.一期一会の定理
K(t1)=S(t1)
のとき
K(t1)=S(t1)=K(t2)=S(t2)
なるt、t(ただしt≠t)は存在しない

意味は「今出会っている時間は、2度と巡っては来ない」

これは定理1より
 
K(t1)≠K(t2)
であるので明らかである

現実に目を向けよう

「一生あなたに添い遂げたい」というのは

t→∞  ⇒ K(t)=N(t)

を望んでいるに他ならない。(
tの定義域は寿命までだろとの反論は、抽象的に捉えるという前提故、ご容赦頂きたい)

将来家族が増えて、皺だらけの老人になって、同じ墓に入る事を望む。
二人は「収束」する。

二つの関数は幾つの新しい関数を生むか。


人間を関数で考えるなど馬鹿馬鹿しいと思うかも知れない。

しかし相手に疑問を投げ掛け、回答を得る行為も「相手」という関数を知るためのブラックボックステストに過ぎないのである。

例をあげると
回答(血液型は?) = O型

回答(好きな男性のタイプは?) = 優しい人

疑問を変数とし回答という結果を得る。それは関数と同じであろう。

すると何が言いたいのか。

未来を変えることが出来るかは不明だが、時間が確かにもったいないと思うのである。